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懐かしきベルギー続編(ブルージュ) [海外雑記]

 『見物するところや、美味しいものがたくさん有っていいな、Bruges.jpgブリュッセルは』とM君が羨ましいといった顔を向けたので、

『食事はヨーロッパ一美味しいと言われていますから色々食べましたけど、観光は最初の頃、冬でしたからどこにも行きませんでした。アパートに居る限り寒くは無かったですけどね、セントラルヒーティングでしたから。部屋中どこでもポカポカで、洗濯物が室内でも良く乾いたな。選択物を外に干すのは禁止でしたから助かりました。』ブルージュ.jpg

『暖かくなってからは行ったんでしょ、いろいろ』

『ええ、仕事ではオランダ、ドイツ、フランス、それにイギリスやアイルランド、イタリア、スペイン、ポルトガル、オーストリア、デンマーク、フィンランドまで行かされましたね。ただ、仕事で行ったので飛行場とオフィスしか見てませんが。生活に慣れた頃から休みを使って、ベルギーやフランス、ドイツ、オランダ、ルクセンブルグ、スイスなどの観光地に車で行きました。』ブルージュの路地.jpg

『いろいろ行きましたね半年間で、どこが良かったですか?』

『そうですね、行って良かったと思ったところは、やはりパリとウイーン、それからスイスかな。』ブルージュのレースショップ.jpg

『ベルギーは、ブリュッセル以外にどこがいいですか?』

『ブルージュかな、“水の古都”中世の街がそのまま残ってますよ。鐘楼やブルク広場などは観光客がいますけど、一歩裏通りに入ると人気がないひっそりとした路地が多く、中世に迷い込んだ気分になります。煉瓦造りの家々の窓にはレースや陶磁器が飾ってあり、ヨーロッパの他の街とはちょっと違う雰囲気があります。ブルージュの冬は霧がよく出て、死の都とも呼ばれているそうです。私も冬に訪れたので観光客も少なく、ローデンバックの小説「沈黙と憂愁に閉ざされ、教会の鐘の音が悲しみの霧となって降りそそぐ灰色の都...」“死都ブルージュ”を見ることができました。バゲットサンドイッチ.jpg

 

 『そうそう、ブルージュでカフェに入ったんです。ちょうど昼食時で、軽く済ませようとバゲットサンドイッチとミネラルウォーターを注文しました。水よりビールのほうが安かったんですけど車で来たのでね。まあ観光地なんで高いのはしょうがない、味もそこそこだろうと思いつつ出てきたバゲットサンドを食べたら驚きました。これが旨い。バゲットは時々食べていましたけど、この硬いパンにバターを塗り、レタスやセロリ、玉ネギ、トマト、生ハムをはさんでマスタードやマヨネーズをかけたブルージュのバケッドサンドは本当に美味しかった。同じようなサンドを他でも食べましたけど、あのブルージュで食べたバゲットサンドが一番美味しかったな...』

 そういうと、私はごくりと生唾を飲んだ...


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懐かしきベルギー続編(グランプラス) [海外雑記]

 M君は、私をホテルまで送って行かなければならないので、エゼル公園のアトミウム1.jpgビールの代わりに炭酸水のペリエを自分でコップに注ぎ、『ナガさん住んでいたアパートは、ブリュッセルでしたよね?』と私に尋ねながらペリエを一口飲んだ。

『ええ、昔万国博覧会のために建設されたアトミウムがあるエンゼル公園の近くでした。』と私が答えると、『ブリュッセルにはグランプラスがありますよね。』とM君が話を向けてきた。

『ええ、ブリュッセルには、中世の香り漂う市庁舎や職業別組合ギルドの美しい建物に囲われたグランプラスがあります。グランプラスa.jpgその周りには荘厳なゴシック建築の聖ミッシェル大聖堂や、ルーベンス、ブリューゲルが見れる王立美術館などもあり、元祖“小便小僧”もありますね。』

『1度行ってみたいな、ムール貝やワッフルも食べたいし。』とM君。

『バケツで出てくるムール貝やベルギーワッフルも有名ですけど、ベルギーは、チョコレートやビールでも有名ですね。日本でGodivaと云えば皆知っていますが、それ以外にもGallerやMary、Cote d‘Orなど幾つか王室ご用達の美味しいチョコレートがあります。ムール貝c.jpgビールはベルギーが世界一種類が多いって言われています約800種類あるそうです。ブリュッセルのレストランやカフェでは、水(ミネラルウオーター)よりビールのほうが安いんですよ。』

 ブリュッセルの説明をしている間に、私はある事をふと思い出しM君に、『そうそう、グランプラスの小便小僧は有名ですけど、結構知られていないモニュメントがあります。グランプラスを挟んで反対側に、なんだかわかりますか?』とM君に質問した。

M君が、『わかりません、なんだろう、教えてください。』と答えたので、小便少女Bruxelles a.jpg『なんと“小便少女”があるんです、“小便小僧”と反対側、ブシェール通りの路地に。私も見ましたが、あまり関心できなかったな。』と云うと、『なぜですか?』とM君。

『しゃがんでるんですよ、まあ当然ですけど、それに顔がなんとなく東洋人でした。何か人種差別みたいな感じを持ちました、考え過ぎかも知れませんが。』と答えると、『それはあるかも知れませんね、オランダ人もヨーロッパでは反日感情強いですから。』とM君がうなずいた...


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懐かしきベルギー続編 [海外雑記]

  車を路肩に寄せて駐車させ、高速から周りを見渡すと、遥か遠くに教会の塔が見えたので、助かったと確信し近くの出口から高速を降り、教会の塔を目指して車を走らせました。フランス教会1.JPGところがしばらくすると、なんとガソリンが切れエンジンが止まってしまいました。しかたなく車を降りて周りを見ると、見渡す限りの田園地帯、人も居なければ車も走ってない。絶望のどん底に一気に蹴落とされました。』

そう云って、困りましたよと言う顔をM君に向けると、

『それで、どうしました続けて。』とM君が促す。

『歩きました、遠くに見える教会の塔を目指して。心の中では“神様お助けくださいって”祈りながら、塔を目指してただひたすら歩きました。普段は神様に祈ったことなど無いのに。』と言って私がテレ笑いをすると、

M君が『困ったときの神頼みですね。』と笑った。

 『30分ぐらい歩いたところで、小さな街が見えてきました。徐々に心の中に安堵感が広がってきました。街の入り口にガソリンスタンドが見えたんです。助かったと心の中で叫んでガソリンスタンドへわき目も振らず歩きました。』

 M君はうなずき、『よかったですね、本当に。でも言葉通じましたガソリンスタンドで、フランスですよねその街? フランス人は英語知っていても、しゃべらないって言いますからね。』と聞いてきた。

『そうだね、フランス人はプライドが高く、母国語を世界一美しい言葉と思っていますからね。でも昔はともかく、最近はフランス人も英語を話しますよ。』と私は答えて話を続けた。

 フランス田舎の夕日.jpg『英語で喋っているつもりだが、実際は何を喋っているのか自分でも分かりませんでした。身振り手振りも交えて必死に自分が陥っている窮地を伝えたところ、何とか状況を理解してくれたガソリンスタンドの店員が、ゴミ箱に捨てられたポリ容器を拾いガソリンを入れて渡してくれました。私は何度も何度も“Merci,Merci”と頭をさげ、2リットルほど入ったポリ容器を抱え、再び来た道を車に向かいすたすたと歩きはじめました。ふと見渡せば、緩やかな丘陵の道は夕日が沈みかけていました。トラブルが無ければ、すばらしいフランスの田園風景でしたが、私には景色を楽しんでいる余裕など有りませんでした。道は街灯など無く、日が沈んだら暗黒の世界に変わるのが想像できました。まずい、そう思うと同時に歩く速度をさらに早め、車目指して再び必死に歩きました。』

私は、その時の状況を思い出すように目を天井に向けた。

『大変な目にあいましたね。』とM君。

『ええ、あの時の心細さは今でも覚えていますよ。』と云って、私はコップに残ったビールを再びゴクリと飲んだ。


懐かしきベルギー [海外雑記]

 M君アパート室内.jpgオランダに赴任しているM君と夕食を近くのレストランで済ませた後、M君から『アパートに戻ってチョッと飲みますか』と誘ってくれたので、再びM君のアパートに戻りサラミを摘みにビールを飲むことになった。 ビールを私のコップに注ぎながらM君が、『ナガさん以前ベルギーに長期出張していましたよね。どのくらい居たんでしたっけベルギーに、どうでしたベルギーは?』と聞いてきたので、『5ヶ月半ぐらいかな、出張した時期が悪くてね、12月下旬。寒いし、暗いし、言葉は通じないし、道は分からないし、観光地はどこもクローズしてるし、ブリュッセルに着いた当初は最悪でしたネ。』と答えると、ブリュッセル 石畳.jpg『12月下旬では、クリスマスも終わっているし、一番悪い時期に来たんですね。』と同情するようにM君が頷いてくれた。『あの時は前任者との引継ぎが1週間しかなくてね、生活するのに必要な最低限の場所を教えて貰うのが精一杯でしたよ。』と私は話を続けた。『そうそう、日本で購入した新しい靴を履いていたんですけど、ブリュッセルの道って石畳が多いでしょう、1週間で足に豆ができて石畳の道を歩くと痛いの何のって、最後には豆が潰れて血まで滲み出してきて散々でした。』『それは大変でしたね。』と益々同情してくれるM君。『ベルギーはご存知のとおり、オランダ、ドイツ、フランス、ルクセンブルクと国境を接しているし、イギリスともドーバー海峡を隔てて隣です。ベルギー地図.jpgだからブリュッセルにはEU本部やNATOなどがある。便利なんですね、それらの国に行くのには。1週間に1回は行きましたね車で、今週はドイツのケルン、来週はフランスのパリ、次の週はオランダのアムスって感じ、多いときには1週間で3カ国回ったことも有りますよ、どの国も日帰りで行ける距離ですからね。ちょっとフランスのパリまでは遠かったかな、朝早く出発しないと帰りがすごく遅くなってしまう。』と私が云うと、『ユトレヒトからだとケルンは行けますけど、パリまではチョッと遠いですね。日帰りは難しいな~』とM君。更に『車は何に乗ってましたか?』と聞いてきたので、『Audiでしたね、会社が借りてくれた。』と答えると、『いいな~僕はオペルですよ』とさも羨ましいと云う顔をした。 フランスとベルギーの国境.jpg『そうそうパリまで行くときは、普段はベルギー国境でガソリンを満タンにするんですけど、ガソリン入れるのを忘れてしまった時があったんです。パリから帰る高速で、ガス欠になってしまった。しかも携帯電話も忘れてしまって。』『え~、それは困ったでしょう』とM君。『参りましたねあの時は。パリからブリュッセルの高速、ガソリンスタンド少ないんですよね。』『どうしました、それで?』とM君が聞く。私は注がれたビールを一口ゴクリと飲んで話を続けた。

(続く)


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オランダ続編 [海外雑記]

 ホテルにチェックインした後、まだ時間が早いのでユトレヒト郊外にあるM君のアパートアパートベランダから.jpgに招待された。『外観を見ると一見日本のアパートに見えるけど、日本のアパートと違い、完全に各部屋は独立してるんだね。』と私が云うと、『そうですね、こちらのアパートは共通の階段や廊下なんか無いんですよ。長屋式集合住宅ってとこかな。その代わり各部屋、間口が狭く階段が急なので大きな家具が入れられないんですよ、だからどこの家にも窓側の屋根の軒下に家具を吊り上げる滑車(クレー)がついているんです。』と教えてくれた。Utrecht.jpg

M君の部屋は2ベッドルームで家具付きだったが、日本に比較すると十分な広さがあった。私が、『人口密度が高い国のアパートとは思えない広さだね。』と云うと、『ダムで海を塞いで作った国土ですから、平地が多いんですよね、日本と違って有効利用できる土地が多いんじゃないですか。都市の近くでは通常の家と別に、運河にボートを停泊させたまま家として使うボートハウスもあるんですよ。』と説明してくれた。

『いい部屋だね。』と私が部屋を見回しながらほめると、『一人で住むには十分な広さです。』とM君が答えた。『食事はどうしているの、外食?』と聞くと、『朝は近所のパン屋からパンを買ってきて、ハムと目玉焼きを自分で作ります。昼は会社の食堂で食べますから、夜だけ外食だったり、自分で作ったりですかね。』 私が、『そういえば、オランダの会社の食堂、パンと野菜とハムとチーズ、あとは濃い、普通、薄いと3種類ある牛乳が飲み放題でしたよね?』自転車専用道路.jpgと思い出して確認するように聞くと、『そうなんですよ、毎日同じメニューでさすがに飽きますね。でも会社の人達ぜんぜん平気みたいで、人によっては野菜やハムは会社の食堂のものを食べるけど、パンだけは自分の家から持ってくる人もいるんですよ。日本ではありえないですよね、パンだけ家から持ってくるなんて。』と、さも不思議そうな顔を私に向けた。『オランダ人は基本的にジャガイモが主食ですよね。あとは牛乳とチーズ、ハムと野菜をよく食べる見たいですけど、大きいですよね背が。』と私が云うと、『ええ、なんと云っても平均身長は世界1位ですから、でも性格は温厚と思うんです、ドイツ人なんかと比較すると。』とM君。私はうなずき、キンデルダイク風車.jpg『以前私がベルギーに滞在していたとき、フランスやドイツ、オランダに車でよく行きました。なれない道なのでもたもたしている時など、フランスではずいぶんクラクションを鳴らされたけど、オランダ人はほとんどクラクション鳴らさない。人種が違うんですよね...』と私が云うと、『ええ、オランダ人はゲルマン系が多いと思いますが、フランス人はラテン系が多いと聞いています。人種違いますね。そうそう、車といえば、この国では交通手段として自転車を愛用している人が多いんですよ。国を挙げて自転車を奨励している事もあり、都市部から田舎まで、自転車専用道路があります。国中アップダウンが少ないので自転車はいい交通手段なんでしょうね。』と話してくれた。Scheveningen.jpg『観光はどこに行きましたか?』と聞くと、『チューリップで有名なキューケンホフ公園や風車で有名なキンデルダイク、ザーンセ・スカンス、村人が民族衣装を着て木靴を履いているマルケン島なんか行きました。』私は、そうですかとうなずいて『僕も以前、いろいろ観光地には行きましたが、行けなかったところがあります。』とM君に云ったところ、『どこですか?』とM君が食いついて来たので、『国際スケート連盟発祥の地。』とヒントを出した。『ああ、ヌーディストビーチがあると言われているスケベニンゲン(Scheveningen)ですね。』と云ってM君はニヤリと笑った。


オランダ [海外雑記]

 ハンガリーからの帰り、仕事の都合でオランダに寄ることになった。Schiphol空港.jpgオランダを訪れるのは初めてではなく、数年前にベルギーに半年滞在していたとき、何度か車で来た事がある。オランダといえば風車とチューリップは有名だが、農業だけでなくダイヤモンドの研磨技術は有名だし、フィリップスなどの多国籍企業もオランダが本拠である。

 運河Amsterdam.jpg私をスキポール空港まで迎えてくれたのは、オランダに単身赴任している後輩のM君だった.。彼は昨年からオランダのユトレヒトに住んでいるが、赴任前は私と同じ職場で仕事をした仲である。『お疲れさま!!』と云ってにこりと微笑み、私の旅行バックを持ってくれた。到着ロビーから外に出ると旅行バックを私に戻し、『チョッとここで待っててください』と云って小走りに駐車場へ向かって走って行った。

 堤防.jpgアムステルダムからユトレヒトまでは30K、車で約40分ぐらいだが、以前車でアムスまで来たときはスキポール空港近くで、飛行機が車の真上を交差して移動するところを見た記憶がある。また6車線の高速道路が割れて上がる跳ね橋があり、その時間にあたって待たされた事もある。

 『久しぶりですかオランダは?』とM君に聞かれ、『ええ、懐かしいですね』と何気なく答えた後、『もうオランダには慣れましたか?』とM君に聞き返した。『う~ん、全体的にのんびりとして良い国なんですけど...』と意味深に答えるM、『単身赴任では退屈でしょう』と畳み掛けた。跳ね橋3.jpgするとM君は、『ご存知のように、この国では特に生活するうえで困ることはないし、休日は美術館や観光地を回ってそれなりに楽しんでいます。何といっても画家ではレンブラントやゴッホを生んだ国で、音楽ではロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団を有する国ですから。たまにはコンサートへも行きます。あとはゴルフかな』との答えが帰ってきた。『オランダのゴルフ場ってアップダウンがなく平坦でしょ?』と聞くと、『国土の1/4をダムで干上がらせて作った国ですから、国中平坦ですよ。そんな国のゴルフ場なので易しいかと誰しも考えるんですが、アップダウンが少ない反面、池が多いんですよ。さすが運河の国ですね。』とハンドルを握り、目は前方を見据えたまま苦笑いした。飾り窓Amsterdam.jpg

 『そういえばこの国、日本では法律で禁止されていることも、許されているものがありますよね』と話を向けると、『ええ、たとえば売春は合法的に行われているし、大麻も限られた店では認められていますね。アムスには有名な飾り窓もあるし、ユトレヒトでも地元の人相手のボートハウスがあります。飾り窓は私も見に行ったことがありますが、ショーウインドーに生身の女性が下着姿で立っている。女性を照らすライトも特別なんですかね、綺麗なんですよ』とチラッと私を見て続ける、『日本とはまったく考え方が違いますね。ミッフィー2.jpg彼女達は自主的に商売をしており、立派なサービス業なんですね。感覚的には食事を提供するレストランと同じなのかな、お腹が空いている人がいるから食事を提供する。だからこの国では性犯罪も少ないようですし、彼女達には定期的なチェックが行われているので性病の感染率が低いんだそうです。』 私がなるほどとうなずくと、『いろいろな考え方の人がいますから、この国では法律で無理に縛らず、個人の責任に任せているんですよね』と説明してくれた。

 そんな話をしているうちに、車はミッフィーで有名なユトレヒトのリングに入り、ホテルに近い出口へと向かっていった。(続く)


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ハンガリー続編 [海外雑記]

  ドナウ川沿いの道路.jpgハンガリー料理と民族音楽を堪能した翌日はS氏の会社で午前中仕事をしたが、午後は特に予定が無かった。S氏が気を使ってくれて『せっかくハンガリーまで来たのだから、ブタペストでも見てみてはどうですか』と云ってくれた。私も始めてのハンガリーだし、土曜日と云うこともあったので、『そうですね、そうさせてもらえますか』と云いながら頭を下げた。 昼を会社の食堂でとった後、S氏が手配してくれたシロタクに乗りブタペスト市内に向かった。 

  セーチェーニ鎖橋からブタ側地区に向かう.jpg『ブタペストはね、ドナウ川の西側がブダ、東側がペストと呼ばれる地域で、もともとは別の街でした。』とS氏が説明してくれる。『この街はね、古くから平地のフレンツェ、海辺でのベニス、丘陵地ではブタが最も美しいと云われドナウの真珠、ドナウの宝石と呼ばれています。』『人口はどのくらいですか?』とS氏に尋ねると、『今は人口約200万人ぐらいと聞いています。でも、第二次世界大戦中はブタペストに住んでいたユダヤ人が20万人虐殺されているし、ソ連軍占領下でも人口がずいぶん減ったようです。』と答えてくれた。そうこうするうちに、ドナウ川両岸を結ぶ橋セーチュニ鎖橋が見えてきた。 ブダ城からのドナウ川と鎖橋.jpg

 セーチュニ鎖橋を渡り最初に訪れたのがブダ城である。ルネサンス建築の王宮を見ながらS氏が語る『この王宮はね、最初はゴシック建築だったらしいのですがローマ皇帝の皇后、女帝のマリア・テレジアがルネッサンス様式に変えたんです。その後ハンガリー動乱でソ連軍に破壊されましたが、80年代に再建されました。』説明を聞きながら王宮の階段を上り、城壁の上に出るとそこからドナウ川とセーチュニ鎖橋、対岸のペストの町が一望に望めるマーチャーシュ聖堂.jpg場所にでた。ブダ城内にある国王の結婚式や戴冠式の場として利用されたマーチャーシュ聖堂を見た後、S氏が『何かお土産で買いたいもの有りますか?』と尋ねてきた。『特にありませんが...』と答えると、『それでは中央市場にでも行きましょう、あそこならハンガリーの人が食べる生鮮食品からお土産の民芸品まで売っていますから』と云ってくれた。

 中央市場3.jpg中央市場と云うから、私は日本の築地市場を想像していたが、全く市場とは思えないモダンな建物に案内され中に入った。1階は広いスペースに各商店がパプリカやハムを売っており、地下は鯉などの水産物を売っていた。店はどこもこじんまりとしていたが、特に目を引いたのは、赤や黄色、緑にオレンジと色鮮やかなパプリカとたまねぎで、こんなに種類があるんだと改めて関心した。唐辛子や香辛料も多く売っており、ハンガリー料理が辛い事が納得できる。ハンガリーといえばキャビアも有名なのだが、私としては味と値段が気に食わないので、お酒のつまみになるサラミとチーズを購入することにした。 買い物も終わ中央市場2.jpgりホテルに向かう車窓から、またゆったりと流れるドナウ川が見えてきた。ドイツに源を発し、バイエルン地方を横断してウイーン・ブダペスト・ベオグラードなどを経てルーマニアとブルガリアとの国境を流れ、黒海に注ぐドナウ川。この川を見ているうちに頭の中でイバノビッチのワルツ“ドナウ川のさざなみ”が流れ出した。ドナウ川.jpg

しばらくドナウ川を見ているとS氏が『今日は最後のブタペストの夜ですから一緒に飲みに行きましょう。』と誘ってくれた。私が『ええ』と気の無い返事をすると『いい店知っているんですよ、金髪のハンガリー美人がいる。』とたたみこんっできた。『ハンガリー美人ですか』とそれとなく聞き返すと、『そうです、ハンガリーは美人多いですよ。夏など薄着が多くて目のやり場に困ります。』と云いつつ少しにやりと笑った...


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優れ物 [海外雑記]

  中国には、偽物も多いが優れ物もある。私が重宝している物では、携帯電話用充電器がある。充電器2.JPG携帯の充電は普通ACアダプターを使うが、中国にはこのアダプターの偽物も多く、すぐ壊れたり、100~220Vと書いてあるのに、日本で充電できなかったりする

 写真にある充電器は、洗濯バサミと同じ原理のクリップ式で、携帯電話の充電池を本体クリップで挟んで、±端子を充電池の端子に合わせて接触させ、本体をコンセントに差し込めば充電できる。しかも±端子が左右に動くので、どこのメーカーの充電池でも充電可能と言う優れものである。但し、どう見ても安全規格に適合しているとは思えず、±端子が接触してショートすれば煙が出てくるかも...充電器.JPG 

 夏に愛用しているのが、“超ハイパワーラケット式蚊取り器”写真のようにラケットの形をしているが、柄の部分に電池を入れ、ボタンスイッチを押すと、ラケットの網目に高圧電圧が発生し、網に触れた蚊が瞬時に焼け焦げるようになっている。このラケットで蚊をキャッチした時の、ジジジ~と蚊の焼け焦げる音と煙を見た感動は使ってみた人しかわからない。       勿論、人間が網に触れても焼け焦げる事が無いよう、網は二重になっており今だ私は感電した事はないが、本当に安全化は知らない...超ハイパワーラケット式 蚊取り器.jpg 

 中国に行くと、陶器、掛け軸、刺繍、七宝焼き、シルク製品、印鑑等々、いろいろなお土産があるが、中国の人が日常使っている雑貨類を見て回ると、日本ではあまり見ない面白い物を見つける事ができるかも...


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ハンガリー [海外雑記]

  数日前、ハンガリー出張で知り合った日本人のS氏からメールが届いた。国会議事堂.jpgメールを見ると、近々ハンガリーの会社がクローズするので、日本に帰国すると書かれていた。メールにはブタペストの国会議事堂とドナウ川をバックに写した彼の写真が添付されていた。 

 私がハンガリーを訪れたのは、もう5年以上前になるかと思う。ブタペストにある会社の取引先を訪問することになったのだが、私としては東ヨーロッパに足を踏み入れるのは初めてで、何かわくわくした期待を持ったのを覚えている。

 フランクフルト経由でブタペストに到着した私を飛行場で迎えてくれたのがS氏だった。翌日、仕事が終わった後、S氏は『ハンガリー料理を食べに行きましょう』と誘ってくれた。レストラン.jpg“ハンガリー料理?”全く予備知識を持たなかった私は一瞬戸惑ったが、一人で夕食に行くのも面倒だし、お誘いに乗ることにした。連れて行ってくれたレストランは、こじんまりとした店構えで、店の中に入ると日本人の感覚では少し薄暗いスペースに、幾つかのテーブルが並んでいた。

 テーブルに案内され、席に着くとS氏がメニューを私に手渡し『コースにしますが、何か食べたいものありますか?』と聞いてきた。『いいえ、ハンガリー料理は、知らないのでお任せします』と答えると、『この国の料理は、基本辛いか、甘いかなんですよ。今日は無難なステーキにしましょう』と言ってウエイターを呼び何やら理解できないハンガリー語で注文しだした。しばらくして出てきた料理は、ええ~と思うほどボリュームがあり、オードブルのサラダとパンだけでも量があるのに、ステーキ.jpgメインデッシュは肉と野菜で山盛りになっており、どう頑張って食べても全部平らげることは不可能な多さだった。 

 トカイワインを飲みながらS氏が喋り始めた。『ハンガリーって昔から他民族に支配され続けた歴史が有り、ローマ帝国やモンゴール帝国、オスマントルコの支配下にあったりしたんですよ。そんな歴史の中で東洋と西洋の文化が混じっていて、たとえば彼らの名前、姓が先で名前が後で日本と同じなんですよ。知ってますか、第二次世界大戦の時、この国は日本の同盟国だったこと?』とS氏が聞いてきた。『え、知りませんでした』と答えると、さもあらんといった顔をして『日本人はみんな知らないんですよね。でもこの国の人々は日本の事、結構知ってますよ。日本人には親しみを持っていますよ』と話してくれた。

 そんな話をしていると、ステージに民族衣装を着て楽器を持った人たちが入ってきた。リーダーらしき男が何か話した後、彼らは民族音楽.jpgハンガリーの民族音楽らしき曲を演奏し始めた。『そういえばハンガリーで思い出すのは、ブラームスのハンガリー舞曲ですよね』と私がS氏に話しかけると、『ハンガリー舞曲は、ブラームスの作品と思っている人が多いのでが、彼はドイツ人で、ハンガリー舞曲はハンガリー民族音楽からの盗作、いいや編曲ですよ』と教えてくれた。我々の会話が分かったはずは無いのだが、その答えとほぼ同時に突然あの軽快且つもの悲しいジプシー音楽、ハンガリー舞曲5番が流れ始めた...

続く...


香港、深センイミグレ事情 [海外雑記]

 一昔前は、週末ともなると香港から中国へ行く香港人で混雑していたイミグレが、香港 シンセン地図.jpg最近は状況がすっかり変わり、中国から香港に行く中国人が増えている。何でそうなったかと言えば、勿論中国人の裕福層が増加してきたためだが、今回の出張ではこの状況の変化に気づかず偉い目にあってしまった。

 

 中国シンセンからの帰路、ホテルからダブルライセンスの車で香港空港に向かったのだが、中国から出国するイミグレで運転手から、『歩いてイミグレを通過してくれれば、早く越えられるので歩いてください』といわれ、『了解!!』と軽く同意してイミグレに向かったところ、とんでもない雑踏に巻き込まれてしまった。イミグレは建物に入る前に既に人で溢れており、一歩も前に進めない。さてさてどうするかとおろおろしていたところ、なにやら怪しい男が話しかけてきた。 最初はぺらぺらと広東語で話しかけてきたが、こちらの中途半端な反応を見て英語に変えてきた。シンセン.jpgどうも話の内容は、100元出せばイミグレに早く行けるように案内すると言っている。よくよく見れば、腕にイミグレ管理官のような腕章をつけている。でも、ちょっと怪しい。少し考えている間にこの男、他の中国人を誘っている。その中国人は渡りに船でこの男の誘いに乗った。それなら死ねばもろともと、こちらも同意。

 男は早々に我々を誘導してひとごみの中を掻き分けるように歩き出した。見失ったらまずいと、必死で付いていく日本人と中国人。男は一端外の階段から2階に上がり、建物の中に入っていった。早足で付いていく日本人と中国人。中国 香港イミグレ.jpg建物に入った男は、建物の中を突っ切り、建物の中の階段を1階へ下りた。降りた場所は、なんと、なんとイミグレのフロアー。男はそのまま、我々を外人用のイミグレ窓口に案内し、そこで案内料を要求。無事雑踏を抜けて、イミグレまでたどり着き、安堵した我々は素直に100元を男に手渡した。男は片言の日本語で『ありがとう!!』と言った後、正面に居たイミグレ係官と少し話した後、そそくさと元来た道を次の客を求めて去っていった。

   この100元(1500円)は、高かったのか、安かったのか。。。。。。。。断れば何時間もイミグレで並ばされたと考えれば、やはり安かったのだろうと自ら納得。それにしても、さすが何でも商売にするこの民族は恐るべし!!


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