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インドネシア出張5(カラオケ) [海外雑記]

 その店に入るとアントンさんは受付係となにやら話していたが、暫くして案内係らしき女性が私達のそばに来て軽く会釈した後、私たちの前を先導して歩きだした。案内された部屋は広く、ソファーに座ると間も無くビールやワイン、おつまみやフルーツが運び込まれて来た。それと同時に、黒いスーツを着たママらしき30代前半と思われる女性が入ってきた後、ぞろぞろと派手なドレスを着た女性が十数人入ってきて正面に並んだ。

 アントンさんが、『どうぞ相手を選んでください。』と私に促したが、並んでいる女性から一人を選ぶのは勇気がいる。選びかねていると、迷っているのを助けるようにアントンさんが、『右から2番目、白いドレスの娘はどうですか?』と進めてきたので、意中の娘ではなかったが『ええ』と答えてしまった。

 アントンさんが選んでくれた女性は、私の隣に座り何やら話しかけて来たが全く分からない。片言のマレー語で、『スラマッブタン(こんにちは)。ナマ サヤ ナガ. シアバ ナマ アンダ?(私はナガです。あなたの名前は?)』と聞いてみた。彼女は理解したのか、『ナマサヤ ルディ(私の名前はルディです)』と答えて来たが、その後の会話は続かない。今更ながら、マレーシアに赴任しながらマレー語を覚えなかった我が身を悔やんだ。

 私達の会話が続かないと察したアントンさん、テーブルに置いてあるティシュペーパーを1枚とり、部屋にいる女性達に何やら説明しだした。そして、『ティシュペーパー口渡しゲームをやります。左隣の女性が銜えたペーパーを口だけで掴んで引きちぎり、右隣の女性に口だけ使って渡してください。ペーパーが小さくなり、取れなくなったら負けです。』と私たちに説明。『負けたらどうするのですか?』とS君が聞くと、『自分のお酒を全部飲んでください。』と答えると、開始の合図を1番目の女性に送った。

 最初は皆、ティシュペーパーを少し唇に挟んで、ビリビリと引きちぎっては隣に差し出していたが、アントンさんの番になると、女性と唇が触れるぐらいティシュペーパーを口で挟んで一気に引きちぎった。さてさて次の女性、恨めしそうにアントンさんを見て、そーっと唇をアントンさんに近づける。それを見ている女性陣、きゃあきゃあ、わいわい囃し立てる。その後次々とアントンさんはゲームを提案、部屋中大いに盛り上がる中、ジャカルタの夜は更けていった...

 追記:遊びに夢中になり、不覚にも写真を撮るのを忘れたため、この記事には写真を掲載しておりません、ご容赦ください。


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インドネシア出張4(紙幣と苗字) [海外雑記]

 話しも盛り上がってきた頃、インドネシア銀行.jpgS君が財布からインドネシアのお札10万ルピアを数枚取り出し、『友達から選別で貰ったんですけど、これ使えますか?』とアントンさんに渡した。アントンさんはお札を手に取って『ああ、残念ですがこのお札は古いので使えません。』と答えた。『え~、全く使えないのですか、それでは銀行で交換してくれますか?』と驚き顔のS君。『だめですね。既に交換期限は過ぎています、交換してくれません。記念にしかなりませんネ。』と云ってから、10万ルピア.jpgアントンさんは話しを続けた。『インドネシアでは、しばしば紙幣が新しくなります。新しい紙幣が出たら、早く古い紙幣は使ってしまう事です。でも、古い紙幣は受取る方も嫌がるし、お釣りにわざと古い紙幣を入れて渡される事も有ります。まるでババ抜きですね。』と云って苦笑いをした。インドネシアの家族.jpg 

 せっかく貰った紙幣が使えないと分かったS君は、コップのビールを一気に飲み干し、『アントンさん、インドネシアでは苗字が無いと聞きましたが、そうなのですか?』と別の質問を投げた。『ええ、ほとんどの人は苗字を持っていません。スカルノ大統領もスハルト大統領も苗字はありません。私の名刺には、“Eko Yuli Anton”と書いて有りますが“Eko”も“Yuli”も“Anton”も全て名前で、タマリン通り.jpg苗字ではないのです。従って私達には家系は有りません。日本人のように生まれた子供が、父の姓を名乗ることは無いのです。』とアントンさんが説明してくれた。 

 お腹も一杯になり、日本食レストランを出てホテルに帰ろうとした時、アントンさんが私たちに、『まだ早いので、もう1軒行きましょう。』と誘ってくれた。私は、『いいえ、もう充分頂きましたから、結構です。』と答えたが、カラオケラウンジ.jpg『まあ、そう云わずに。』と云って待たせていた車のドアを開けた。私達が車に乗込むと、アントンさんは助手席に乗込み、運転手になにやら行き先を告げた。 車は夜のジャカルタを渋滞を避けながら数十分走った後、派手なネオンですぐそれと分かるカラオケの前で止まった... 

(追記)私事で暫く日本を留守にします。その間記事は予約投稿で掲載させて頂きますが、頂いたNice、コメントには返信できないのでお許しください。


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インドネシア出張3(日本食レストラン) [海外雑記]

 ホテルチェックイン後、ジャカルタ夜景.jpg私達はアントンさんの誘いで、夕食を一緒に取ることになった。再び車に乗り、ジャカルタの町の中、渋滞を避けながら数十分走った後に、辿り着いたのは日本食レストランの前だった。

 店員の先導で部屋に通されたが、そこには既に明日訪問する会社の人達が待っており、席に着く前にアントンさんから紹介を受けた。とりあえず私達は地元ビンタンビールで乾杯をしたが、ビンタンビール.jpgアントンさんはビールをコップに少し入れ乾杯の真似をしただけだった。それを見ていたS君が『やはりお酒はだめですか?』と聞くと、『イスラム教ではお酒は禁止です。でもビール程度は人によって飲む人もいます。』と答えた。S君は続けて『イスラム教では、色々なことが義務付けられていますよね。』と云うと、アントンさんが『ええ最も重要なのはお祈りです、お祈りはIsya(夜8時頃)、Subuh(夜明け早朝)、Lohor(正午)、Asar(午後3時頃)、Magribお祈り.JPG(日没)の1日5回しなければなりません。イスラム(ISLAM)の名前は、お祈り時間の頭文字を取って作られたと云われています。それに1年に1ヶ月間行うプアサ(断食)は、夜明けから日没まで、水も食物も口には一切入れません。このプアサは、食事も満足に取れない人々の気持ちを皆が理解するために始めたものです。また糞尿を餌にしている豚肉は、サシミ.JPG不浄なので食べません。昔、豚肉から伝染病が発生したので禁止したと云う説も有りますが。』と説明してくれた。

 S君が、『お祈りが出来なかったらどうするのですか?』と聞いた。『お祈りは絶対にしなければなりません。お祈りの呼びかけはアザーンと云って、肉声で呼びかけます。もしこの時お祈り出来なかったら、スサン.JPG後でお祈りします。』『へ~厳しいのですね。』とS君が云うと、『お祈りは神様への感謝です。』とアントンさんが当然と云った顔をした。

 暫くすると、私たちが注文した食事が運ばれてきた。運んできた店員をふと見ると、日本人かと思える顔立ちだ。私はインドネシア語で、『アンダ(あなた)ナマ(名前)?』と聞くと、すぐ名札を見せて『スサンです』と答えてニコッと笑った。私は以前、日本人のルーツはモンゴル人とインドネシア人だと読んだことを思い出し、確かにその説は正しいのではと思った...

(追記)私事で暫く日本を留守にします。その間記事は予約投稿で掲載させて頂きますが、頂いたNice、コメントには返信できないのでお許しください。


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インドネシア出張2(ジャカルタ) [海外雑記]

 我々を乗せた車はジャカルタ市内に入ると、ジャカルタ市内の渋滞.jpgところどころで渋滞に巻き込まれた。『ジャカルタは相変わらず渋滞がすごいですね。』とアントンさんに云うと、『ええ、相変わらず渋滞は解消されません。何しろジャカルタでは、1日車が200台、バイクが900台づつ増えています。今年中に道路の総面積より、車両の総面積が上回ると聞いています。』『え~、それはすごい』とS君。アントンさんが続ける、『渋滞を解消させるため、three in oneと云うルールを作ったんです。午前7時から10時まで、午後4時から7時の通勤時間帯は、車に3人以上乗っていないとジャカルタ市内に入れない。』ジョッキー.jpg『それで、効果は有ったのですか?』とS君。『全く効果は出ませんでした。』とアントンさんが答えたので、『え、何故ですか?』と私は聞いた。『新手の商売が出てきたのです。ジョッキーと云う人達で、規制される道路の入り口で待ち構え、人数が3人いない車に、お金を貰って乗込む商売です。』と云ってアントンさんが眉をしかめた。

 私たちがジャカルタ市内のホテルに到着したのは、午後6時半頃だった。車がホテルのゲートを通過し正面玄関に向かう途中、突然銃を持った制服姿の男数人が車を停止させた。一人の男が棒の先に付いた犬と共に警備に当たる警備員.jpg測定器らしき物を車の下に入れ調べだした。同時に他の男が運転手に指示してトランクルームを開けさせ中を調べている。『何でしょうか?』とアントンさんに聞くと、『爆発物のチェックです。2005年に起きたバリ島爆弾テロ事件から、一流ホテルのチェックが厳しくなりました。このホテルは5星の国際ホテルですからチェックが厳しいのです。』と説明してくれた。確認が済むと車は正面玄関に横付けされたが、ここでもトランクから下ろされた我々の荷物が、空港と同じⅩ線検査にかけられてから渡されたのには驚いた。5星ホテル.JPG

 ホテルのロビーは広く、天井には大きなシャンデリアが下がっている。フロントの受付嬢もよく教育されており、流暢な英語でてきぱきとチェックインの処理をしてくれる。私はアントンさんに、『さすが5星ですね。でももっと安いホテルでよかったのですけど。』と云うと、『このぐらいのホテルで無いと安全が保てません。』との答えを聞いて、今はインドネシアもかなり危険で有ることを理解した...

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インドネシア出張 [海外雑記]

 マレーシア出張から2週間経過した4月初旬、着陸寸前の景色.jpg私と同僚のS君は、前回急遽訪問を中止したインドネシアのジャカルタへ改めて出張することになった。ジャカルタに到着したのは午後4時半頃、空港には明日訪問する会社の通訳アントンさんが待っているはずだったが、いくら探しても見当たらない。到着ロビーをうろうろしていると、白タクらしき人達が寄ってきて、何処に行くんだと鈍った英語で話しかけてくる。無視してもしつこく付きまとう。あらかじめ聞いていたアントンさんの携帯電話も全く通じない。あきらめてTAXでホテルへ行こうと思いかけた頃、反対側に探しに行ったS君がジャカルタ国際空港首都「土木図書館所蔵」「撮影:伊藤清忠」.jpgアントンさんらしき人を連れて戻ってきた。私は軽く挨拶と自己紹介をした後、『ずいぶん探しました、何かありましたか?』と遅れた理由を聞いてみた。するとアントンさんが、『車が渋滞して到着が遅れてしまいました。申し訳ありません。』とぺこりと頭を下げた。

 私達は駐車場まで行き、アントンさんが手配した車に乗り込んだ。車が走りだしてからアントンさんが、『インドネシアは初めてですか?』インドネシアの地図.pngと訊ねて来た。私は、『いいえ、以前来た事があります。』と答えたが、S君は、『初めてです。』と答えた。するとアントンさんは、『インドネシア共和国は、世界で一番多くの島を持つ国です。その数1万8,110と云われています。人口は2億3千万以上で世界第4位です。』とインドネシアの説明をしだした。S君が、『へえ~1万8千の島ですか、すごい数ですね。』と驚いた顔をするとアントンさんは続けて、『実際、正確な数はインドネシア政府もジャカルタ市内.jpg把握していません。』と云ってにこりと笑った。

 『インドネシアは日本と深い関係があるんですよ。』と、さらに続けてアントンさんは説明しだした。『インドネシアがオランダ領だった頃は、過酷な植民地時代が続きましたが、日本軍の侵攻によりインドネシア・日本合作映画 ムルデカ.jpgオランダの植民地支配が瓦解し、日本の軍政下に置かれました。日本はインドネシアに対し緩和政策を取ったのですが、日本が負けると再びオランダの支配下に置かれましたしかし、日本軍政下に高度の軍事訓練を受けたスカルノ大統領を始めとしたインドネシアの青年層が独立運動を起こし、オランダから独立を勝ち取ったんです。この独立運動では、日本人が2000人以上加わり、半分の方々が死んでいます。』と、私も知らなかったインドネシアの歴史を語ってくれた...

 


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懐かしきベルギー (ドイツ アウトバーン) [海外雑記]

 『ベルギーで覆面パトカーに捕まった後、そのままドイツの国境を越えたのですよね』とM君。『ええ、ドイツの国境を越えると、E40は時速制限無しのアウトバーンになります。アウトバーン.JPGアウトバーンは、スイス、フランス、オーストリア、オランダ、チェコ、スロバキア、デンマーク、ポーランドなどの国々と繋がっています。ナチス政権下にヒットラーの指示で、高速走行に適したように設計されており、勾配は4%以内に抑えられ、航空機の発着も出来るよう舗装が厚く出来ています。一部は制限速度があるとはいえ、基本的には時速200Kでも300Kでも車の性能が続く限り、覆面パトカーが居ようと、白バイが居ようと、なんのお咎めもなく、罰金も取られない高速道路です。しかも全線無料で料金所もゲートもありません。』

 『フェラーリやランボルギーニ、メルセデスやポルシェ、BMWは、アウトバーンでも走らなければ意味が無いですよね。日本の道路で走っても、性能ぜんぜん出せない。』とM君。アウトバーン起工式で演説するヒトラー.jpg

『そうですよね、高級車の性能を出すにはアウトバーンのような道路がなければ宝の持ち腐れかも知れませんね。そうそう、アウトバーンを走行すると、意外と道幅が狭いと云う気がしました。多分スピード出しているから、そう感じるのだと思いますけど。』

 『ベルギーの国境を越えてアウトバーンに入ると、私はアクセル踏んで、160Kぐらいで走り続けました。メルセデス.jpgバックミラーを見ると遥か後ろに車が付いてくるのが見えました。ここはアウトバーンですから、覆面パトカーがいても大丈夫と思い、そのままスピードを維持して数分走っていると、ピカっと光った気がしました。何かなと思ってバックミラーを見ると、なんと、先ほど遥か後ろに見えた車がピタっと私の後ろに付いているではないでしょうか。その車、今度ははっきりメルセデスだと分かりました。メルセデスは左ウインカーを出して私に“道を譲れ”の合図をしています。私はあわてて、内側に車線を変更したところ、メルセデスは、あ!! と云う間に、おそらく200Kは出ていただろうスピードで私の車を抜き去って行きました。』アウトバーン出口.jpg

 『メルセデスが去った後、私はまた追い越し車線に戻り、今度はメーターが180Kになるまでアクセルを踏み続けました。さすがに180kで車を走らせると近くの風景は瞬時に流れ、少し恐怖感が出てきます。でも私はその状態で走り続けました。ふっと気づくと、既にボンの標識が出てきています。私は、出口に向かいスピードを徐々に落としだしました。出口はゆるいカーブになっています。さらに私はスピードをゆるめカーブにあわせゆっくりとハンドルを右に切りました。しかし、アウトバーンで死亡事故.jpgなんといくらハンドルを切っても高速出口のカーブが曲がりきれない。!!っと思い、ブレーキを思い切り踏みつけました。その瞬間、車と自分の体がぐるっと回っているのが分かりました。1回転半ぐらいしたのでしょうか、運が良いことに車は道路の壁すれすれの所でぶつからず止まっていました。』

 『大事故にならずに良かったですね。』とM君。

 『ええ、車が止まったとき、私と同僚は無言でお互いの顔を見合いました。』

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懐かしきベルギー (ドイツ ボン) [海外雑記]

 『その日は、日本から知り合いの同僚が出張でベルギーに来ていたので、大聖堂Bonn_Muenste.jpg休みにベートーベンの生誕地、シューマンの終焉地、ボンにでも行き、観光でもしてお土産でも買おうと云うことになりました。私は、ベルギーに来てから既に3ヶ月を過ぎていたので、すっかり生活にも仕事にも車の運転にも慣れた頃で、同僚が泊まっているホテルに朝7:00頃ピックアップに行きました。休日の朝で、道路もそれほど混雑しておらず、ブリュッセルを出てE40を快調にアーヘンに向けて飛ばしました。』

 『ベルギーの高速は、制限時速が130Kですが、どこの国でも同じで、追い越し車線を制限時速を越えて飛ばしてくる車もあります。ドイツ高速.jpgそのような時は、内側車線に避けるのですが、内側車線は礼儀正しいトラックが時速90K程度で走っています。トラックの後ろに付くと急にノロノロ運転になり、しばらくするとイライラしてきました。そこで追い越し車線に出て、130Kまでスピードを加速すると、またまた後ろから車が追いかけてくるのがバックミラー越しに見えたので、アクセルを踏んで加速しました。ところがなんと、覆面パトカー.jpg追いかけてきた車が突然ブルーのクルクル回ライトを屋根に付けたのです。』

『え!! それって覆面パトカーですか。ベルギーにも覆面パトカーいるんですね。それで?』とM君。

『しまったと思った時は、覆面パトカーはみるみる私の車に近づき、止まれの合図をして来ました。私は路肩に車を寄せ、車から降りました。ドイツのお土産ビールジョッキ.jpg覆面パトカーから2人の警察官が降りてきて、一人が私になにやら話しかけて来ました。実際何を云っているのか分からなかったのですが、このような状況では、当然免許書を求めていることは察しが付きますので、免許書とパスポートをポケットから出し渡しました。すると、警官は免許書とパスポートを確認した後、またなにやら話しかけてきました。今度はスピード違反なので罰金を払ってくださいと云っているのが分かりました。私は、日本人で道路事情が良く分からなかったなどと、下手な英語で見苦しい言い訳をし、平謝りに頭を下げましたが、許してくれるわけもなく、ボン市街.jpgその場で56ユーロの罰金を払わされました。』

『それは、お気の毒。それでボンには行ったのですか?』とM君。

 『ええ、行きました。一緒に乗っていた同僚には罰の悪いところを見せてしまいましたけど、観光してお土産を買う約束になっていましたから。でもその日は、一歩間違えば罰金ではすまない事をしてしまいました...』


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懐かしきベルギー (ドイツ デュッセルドルフ) [海外雑記]

 『郊外でネアンデルタール人が発掘されたデュッセルドルフは、デュッセルドルフケーニヒスアレー.jpg車でケルンと30分ぐらいしか離れておらず、ブリュッセルからはケルンと同じ高速E40を使い、アーヘンから高速44に入れば行けます。』

 『日本から出張者が来たとき、デュッセルドルフのカーニバルを見に行った事があります。この街のカーニバルはケルンと並んで有名で、前年の11月11日11時11分、カーニバルの精霊ホッペディッツの目覚めとともに開幕します。カーニバル.jpgしかし翌日から年明けの1月5日まで休みとなり、2月の街中をめぐる山車のパレードでクライマックスを迎えます女性が仮装して市長舎に押しかけ、1日街の支配権を握り、男性のネクタイをハサミで切ったり、男性にキスする女性無礼講の日もあります。』

 『その日はネクタイしないほうがよさそうですね。キスはされてもいいですけど。』とM君。

 『そうですね。それ以外に、男性が女装して市内のメインストリートを駆け巡る障害物競走や、カーニバル2.jpg仮装行列、ビール樽運び競争などもあります。でもカーニバルのメーンイベントでは大パレードで、デュッセルドルフの中心街を5Kに渡り何十台もの山車や、楽隊が口々に“Helau”と挨拶を交わしながら賑やかに練り歩きます。お菓子やおもちゃ、テイッシュや飴などたくさん投げてくれます。

 『面白そうですね。』と再びM君。

 『ええ、カーニバルはドイツ最大の行事ですから。でも少し行き過ぎな所もあります。デュッセルドルフケーニヒスアレー(目抜き通り).jpg街中に置かれたスピーカーから大音量でダンスミュージックがかかっているのはいいのですが、皆ビールを飲むので、街中ビール瓶の欠片が散乱しているんです。とても環境に熱心なドイツとは思えません。』

 『その日は、夕暮れを迎えてから帰路に付いたのですが、ドイツの高速道路(アウトバーン)は照明が無いのでヘッドライトの明かりを頼りに走ります。ところどころに鹿注意の標識が見えますし、ライン川とデュッセルドルフの町並.jpgアウトバーンとは云え、暗くなるととてもスピードは出せません。ドイツの国境を越えベルギーに入った時分かるんですが、ベルギーの高速は日本のように明るいんです。ドイツへ行った時は、いつも国境を越えた瞬間、ああ~わが街に帰ってきたという感じを持ちました...


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マレーシア出張(帰国) [海外雑記]

 午後は、突然の豪雨.JPG4:00頃まで打合せを行い、途中夕食を食べてから飛行場に向かう事になった。しかし夕食を食べるにはまだ早い時間で、予約していた日本食レストランはまだ開店しておらず、俄かに雨も降ってきたため時間潰しもかねて、私たちはレストランの近くにある大きなショッピングモールに入った。『今は乾季ですよね?』と、私がKさんに聞くと、『はい、乾季なはずですが、雨がよく降りますね。最近、雨季、乾季の区別がなくなっています。』とKさん。私は、ペナンショッピングモール.jpgのローカルからも同じ話を聞いた事を思い出し、『この国も温暖化の影響を受けているんでしょうかね。』とKさんに云った。

 私達は、ショッピングモール1階の食品売り場に行き、お土産になるような物を見て回った。果物売り場では、マンゴ、パパイヤ、スターフルーツ、マンゴスチンなど熱帯のフルーツが並んでいた。その中で特別に専用の台車で売られているドリアンが目に入った。看板には、ドリアンショップ.JPG幾種類ものドリアンの写真が張られ、台の上にはパックされたドリアンが山になっていた。ドリアンは品種がある。マレーシア産では、“D24”が美味しく、甘い香りとクリームチーズのような食感がある。私は甘い香りが漂うドリアン売り場を横目で見ながら、乾物類の並んでいる棚を見て回った。同僚のS君が『日本のインスタント食品がありますよ。日本では、買占めされて売り切れているので、インスタントラーメン.jpgお土産に買って行きます。』とインスタントラーメンを手に取った。私は、わざわざマレーシアまで来て、日本のインスタントラーメンを買おうとするS君に、『インスタントラーメンの逆輸入ですか、そこまでしなくても。』と云って笑った。

 夕食を済ませ、KL飛行場に着いたのは午後9:00頃で、私達は、お世話になったKさんとSさんにお礼を云ってチェックインを済ませ、イミグレを通って待合室に入った。待合室では、KL空港ロビー.jpg同じ飛行機に乗ると思われる年配の日本人団体客が既に搭乗を待っており、日本語が飛び交っていた。何気なく聞こえて来る話から、彼らはマレーシアで暮らすため、数日前にこの国を訪問し、今日、日本に帰国する事が分かった。私は、彼らの多くがマレーシア訪問中に起きた震災のニュースを聞いて、この国に住む事を決めた人もいるのではとふと思った...


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マレーシア出張(KL2) [海外雑記]

 翌朝は、ホテルの庭.jpg7:30にモーニングコールを頼んでいたが、昨日午前2:00頃寝たに関わらず、その日は鳥の声で目が覚めた。マレーシアの朝は、赤道に近いため年間を通して7時前後と変わらない。顔を洗い、朝食を食べにレストランに向かったが、明るくなってから見るホテルの庭はプールを中心に広々としており、よく手入れされた花壇には、珍しい熱帯の花々が咲いていた。

 レストランもその庭の横にあり、テント風に造られた高い天井にはぐるりと高窓が配置され、まだやさしい朝の光が室内に差し込んでいた。私が席に着くとまもなく、長い柄の大きな網を持ったボーイが現れ、天井を見上げている。ホテル庭の花1.jpgその目の先には建物に迷い込んだ野鳥が、高窓にぶつかっては弾かれ、またぶつかる様が見て取れた。その様子を朝食を食べながら見ていた私は、改めて自分が被災した日本には居ないことを感じた。

 その日は、ホテルから20分ほど離れた会社を訪問し、午前中の打合せを済ませた後、昼はSさんの誘いで近くのキャンティーンに行くことになった。キャンティーンではSさんが、バク朝食のレストランにて.jpgテーをはじめ比較的日本人の口に合う料理を数皿注文してくれた。私は、バクテーがあまり好きではなかったが、KLのバクテーは美味しいとも聞いていたので、テーブルに出されたバクテーをスプーンですくい一口食べてみた。しかしその味は私の予想を外し非常に美味しく、私はSさんに、『美味しいですねバクテー、ペナンとは違います。』と感想を述べた。Sさんは、『そうでしょう、ここのバクテーは特に美味しいですよ、そのドライバクテーも食べてください。』と進めてくれた。私は進められるまま、ドライバクテーも口に運んだが、さらに美味しドライバクテー.jpgいのに驚いた。

 食事をしていると、どこからか甘いにおいが漂ってきた。ふと振り向くと、後ろのテーブルでドリアンを食べている。『ドリアン売っているんですね?』とSさんに聞くと、『ええ、まだ少し早いですけど売っています。食べますか?』と聞き返してきた。『ええ、大好きです。』と答えると、『待っていてくだドリアンの店.jpgさい。』と云ってSさんは、外に見えるドリアンの店に歩いて行き、暫くして大きなドリアンを1つ持ち帰ってきた。

 果物の王様と言われたドリアンは、外皮は硬い棘で覆われ、強烈な腐敗臭があり、ホテルや機内には持込み禁止となっているフルーツだ。また、飲酒しながら食べると死ぬと云われており、私もペナン在住時代は、何度もローカルの人達に注意されたが、幸いまだ死んでいない。そのドリアンを私は二つに割り、中に入っている種子を口に入れた。ドリアンの中身.JPG甘いクリーム状の果肉は、食べた瞬間いいものだとすぐ分かった。私はSさんに、『とても美味しいですこのドリアン、高かったのでは?』と聞いてみた。Sさんが、『一番いいのを買ったので70RM(約¥1800)でした。』と答えたのを聞いて、同僚のS君が、『ええ~高いですね、ここの昼食代より高いのでは!!』と頓狂な声を上げた。

 


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