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インドネシア出張 [海外雑記]

 マレーシア出張から2週間経過した4月初旬、着陸寸前の景色.jpg私と同僚のS君は、前回急遽訪問を中止したインドネシアのジャカルタへ改めて出張することになった。ジャカルタに到着したのは午後4時半頃、空港には明日訪問する会社の通訳アントンさんが待っているはずだったが、いくら探しても見当たらない。到着ロビーをうろうろしていると、白タクらしき人達が寄ってきて、何処に行くんだと鈍った英語で話しかけてくる。無視してもしつこく付きまとう。あらかじめ聞いていたアントンさんの携帯電話も全く通じない。あきらめてTAXでホテルへ行こうと思いかけた頃、反対側に探しに行ったS君がジャカルタ国際空港首都「土木図書館所蔵」「撮影:伊藤清忠」.jpgアントンさんらしき人を連れて戻ってきた。私は軽く挨拶と自己紹介をした後、『ずいぶん探しました、何かありましたか?』と遅れた理由を聞いてみた。するとアントンさんが、『車が渋滞して到着が遅れてしまいました。申し訳ありません。』とぺこりと頭を下げた。

 私達は駐車場まで行き、アントンさんが手配した車に乗り込んだ。車が走りだしてからアントンさんが、『インドネシアは初めてですか?』インドネシアの地図.pngと訊ねて来た。私は、『いいえ、以前来た事があります。』と答えたが、S君は、『初めてです。』と答えた。するとアントンさんは、『インドネシア共和国は、世界で一番多くの島を持つ国です。その数1万8,110と云われています。人口は2億3千万以上で世界第4位です。』とインドネシアの説明をしだした。S君が、『へえ~1万8千の島ですか、すごい数ですね。』と驚いた顔をするとアントンさんは続けて、『実際、正確な数はインドネシア政府もジャカルタ市内.jpg把握していません。』と云ってにこりと笑った。

 『インドネシアは日本と深い関係があるんですよ。』と、さらに続けてアントンさんは説明しだした。『インドネシアがオランダ領だった頃は、過酷な植民地時代が続きましたが、日本軍の侵攻によりインドネシア・日本合作映画 ムルデカ.jpgオランダの植民地支配が瓦解し、日本の軍政下に置かれました。日本はインドネシアに対し緩和政策を取ったのですが、日本が負けると再びオランダの支配下に置かれましたしかし、日本軍政下に高度の軍事訓練を受けたスカルノ大統領を始めとしたインドネシアの青年層が独立運動を起こし、オランダから独立を勝ち取ったんです。この独立運動では、日本人が2000人以上加わり、半分の方々が死んでいます。』と、私も知らなかったインドネシアの歴史を語ってくれた...

 


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