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インドネシア出張5(カラオケ) [海外雑記]

 その店に入るとアントンさんは受付係となにやら話していたが、暫くして案内係らしき女性が私達のそばに来て軽く会釈した後、私たちの前を先導して歩きだした。案内された部屋は広く、ソファーに座ると間も無くビールやワイン、おつまみやフルーツが運び込まれて来た。それと同時に、黒いスーツを着たママらしき30代前半と思われる女性が入ってきた後、ぞろぞろと派手なドレスを着た女性が十数人入ってきて正面に並んだ。

 アントンさんが、『どうぞ相手を選んでください。』と私に促したが、並んでいる女性から一人を選ぶのは勇気がいる。選びかねていると、迷っているのを助けるようにアントンさんが、『右から2番目、白いドレスの娘はどうですか?』と進めてきたので、意中の娘ではなかったが『ええ』と答えてしまった。

 アントンさんが選んでくれた女性は、私の隣に座り何やら話しかけて来たが全く分からない。片言のマレー語で、『スラマッブタン(こんにちは)。ナマ サヤ ナガ. シアバ ナマ アンダ?(私はナガです。あなたの名前は?)』と聞いてみた。彼女は理解したのか、『ナマサヤ ルディ(私の名前はルディです)』と答えて来たが、その後の会話は続かない。今更ながら、マレーシアに赴任しながらマレー語を覚えなかった我が身を悔やんだ。

 私達の会話が続かないと察したアントンさん、テーブルに置いてあるティシュペーパーを1枚とり、部屋にいる女性達に何やら説明しだした。そして、『ティシュペーパー口渡しゲームをやります。左隣の女性が銜えたペーパーを口だけで掴んで引きちぎり、右隣の女性に口だけ使って渡してください。ペーパーが小さくなり、取れなくなったら負けです。』と私たちに説明。『負けたらどうするのですか?』とS君が聞くと、『自分のお酒を全部飲んでください。』と答えると、開始の合図を1番目の女性に送った。

 最初は皆、ティシュペーパーを少し唇に挟んで、ビリビリと引きちぎっては隣に差し出していたが、アントンさんの番になると、女性と唇が触れるぐらいティシュペーパーを口で挟んで一気に引きちぎった。さてさて次の女性、恨めしそうにアントンさんを見て、そーっと唇をアントンさんに近づける。それを見ている女性陣、きゃあきゃあ、わいわい囃し立てる。その後次々とアントンさんはゲームを提案、部屋中大いに盛り上がる中、ジャカルタの夜は更けていった...

 追記:遊びに夢中になり、不覚にも写真を撮るのを忘れたため、この記事には写真を掲載しておりません、ご容赦ください。


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インドネシア出張4(紙幣と苗字) [海外雑記]

 話しも盛り上がってきた頃、インドネシア銀行.jpgS君が財布からインドネシアのお札10万ルピアを数枚取り出し、『友達から選別で貰ったんですけど、これ使えますか?』とアントンさんに渡した。アントンさんはお札を手に取って『ああ、残念ですがこのお札は古いので使えません。』と答えた。『え~、全く使えないのですか、それでは銀行で交換してくれますか?』と驚き顔のS君。『だめですね。既に交換期限は過ぎています、交換してくれません。記念にしかなりませんネ。』と云ってから、10万ルピア.jpgアントンさんは話しを続けた。『インドネシアでは、しばしば紙幣が新しくなります。新しい紙幣が出たら、早く古い紙幣は使ってしまう事です。でも、古い紙幣は受取る方も嫌がるし、お釣りにわざと古い紙幣を入れて渡される事も有ります。まるでババ抜きですね。』と云って苦笑いをした。インドネシアの家族.jpg 

 せっかく貰った紙幣が使えないと分かったS君は、コップのビールを一気に飲み干し、『アントンさん、インドネシアでは苗字が無いと聞きましたが、そうなのですか?』と別の質問を投げた。『ええ、ほとんどの人は苗字を持っていません。スカルノ大統領もスハルト大統領も苗字はありません。私の名刺には、“Eko Yuli Anton”と書いて有りますが“Eko”も“Yuli”も“Anton”も全て名前で、タマリン通り.jpg苗字ではないのです。従って私達には家系は有りません。日本人のように生まれた子供が、父の姓を名乗ることは無いのです。』とアントンさんが説明してくれた。 

 お腹も一杯になり、日本食レストランを出てホテルに帰ろうとした時、アントンさんが私たちに、『まだ早いので、もう1軒行きましょう。』と誘ってくれた。私は、『いいえ、もう充分頂きましたから、結構です。』と答えたが、カラオケラウンジ.jpg『まあ、そう云わずに。』と云って待たせていた車のドアを開けた。私達が車に乗込むと、アントンさんは助手席に乗込み、運転手になにやら行き先を告げた。 車は夜のジャカルタを渋滞を避けながら数十分走った後、派手なネオンですぐそれと分かるカラオケの前で止まった... 

(追記)私事で暫く日本を留守にします。その間記事は予約投稿で掲載させて頂きますが、頂いたNice、コメントには返信できないのでお許しください。


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インドネシア出張3(日本食レストラン) [海外雑記]

 ホテルチェックイン後、ジャカルタ夜景.jpg私達はアントンさんの誘いで、夕食を一緒に取ることになった。再び車に乗り、ジャカルタの町の中、渋滞を避けながら数十分走った後に、辿り着いたのは日本食レストランの前だった。

 店員の先導で部屋に通されたが、そこには既に明日訪問する会社の人達が待っており、席に着く前にアントンさんから紹介を受けた。とりあえず私達は地元ビンタンビールで乾杯をしたが、ビンタンビール.jpgアントンさんはビールをコップに少し入れ乾杯の真似をしただけだった。それを見ていたS君が『やはりお酒はだめですか?』と聞くと、『イスラム教ではお酒は禁止です。でもビール程度は人によって飲む人もいます。』と答えた。S君は続けて『イスラム教では、色々なことが義務付けられていますよね。』と云うと、アントンさんが『ええ最も重要なのはお祈りです、お祈りはIsya(夜8時頃)、Subuh(夜明け早朝)、Lohor(正午)、Asar(午後3時頃)、Magribお祈り.JPG(日没)の1日5回しなければなりません。イスラム(ISLAM)の名前は、お祈り時間の頭文字を取って作られたと云われています。それに1年に1ヶ月間行うプアサ(断食)は、夜明けから日没まで、水も食物も口には一切入れません。このプアサは、食事も満足に取れない人々の気持ちを皆が理解するために始めたものです。また糞尿を餌にしている豚肉は、サシミ.JPG不浄なので食べません。昔、豚肉から伝染病が発生したので禁止したと云う説も有りますが。』と説明してくれた。

 S君が、『お祈りが出来なかったらどうするのですか?』と聞いた。『お祈りは絶対にしなければなりません。お祈りの呼びかけはアザーンと云って、肉声で呼びかけます。もしこの時お祈り出来なかったら、スサン.JPG後でお祈りします。』『へ~厳しいのですね。』とS君が云うと、『お祈りは神様への感謝です。』とアントンさんが当然と云った顔をした。

 暫くすると、私たちが注文した食事が運ばれてきた。運んできた店員をふと見ると、日本人かと思える顔立ちだ。私はインドネシア語で、『アンダ(あなた)ナマ(名前)?』と聞くと、すぐ名札を見せて『スサンです』と答えてニコッと笑った。私は以前、日本人のルーツはモンゴル人とインドネシア人だと読んだことを思い出し、確かにその説は正しいのではと思った...

(追記)私事で暫く日本を留守にします。その間記事は予約投稿で掲載させて頂きますが、頂いたNice、コメントには返信できないのでお許しください。


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インドネシア出張2(ジャカルタ) [海外雑記]

 我々を乗せた車はジャカルタ市内に入ると、ジャカルタ市内の渋滞.jpgところどころで渋滞に巻き込まれた。『ジャカルタは相変わらず渋滞がすごいですね。』とアントンさんに云うと、『ええ、相変わらず渋滞は解消されません。何しろジャカルタでは、1日車が200台、バイクが900台づつ増えています。今年中に道路の総面積より、車両の総面積が上回ると聞いています。』『え~、それはすごい』とS君。アントンさんが続ける、『渋滞を解消させるため、three in oneと云うルールを作ったんです。午前7時から10時まで、午後4時から7時の通勤時間帯は、車に3人以上乗っていないとジャカルタ市内に入れない。』ジョッキー.jpg『それで、効果は有ったのですか?』とS君。『全く効果は出ませんでした。』とアントンさんが答えたので、『え、何故ですか?』と私は聞いた。『新手の商売が出てきたのです。ジョッキーと云う人達で、規制される道路の入り口で待ち構え、人数が3人いない車に、お金を貰って乗込む商売です。』と云ってアントンさんが眉をしかめた。

 私たちがジャカルタ市内のホテルに到着したのは、午後6時半頃だった。車がホテルのゲートを通過し正面玄関に向かう途中、突然銃を持った制服姿の男数人が車を停止させた。一人の男が棒の先に付いた犬と共に警備に当たる警備員.jpg測定器らしき物を車の下に入れ調べだした。同時に他の男が運転手に指示してトランクルームを開けさせ中を調べている。『何でしょうか?』とアントンさんに聞くと、『爆発物のチェックです。2005年に起きたバリ島爆弾テロ事件から、一流ホテルのチェックが厳しくなりました。このホテルは5星の国際ホテルですからチェックが厳しいのです。』と説明してくれた。確認が済むと車は正面玄関に横付けされたが、ここでもトランクから下ろされた我々の荷物が、空港と同じⅩ線検査にかけられてから渡されたのには驚いた。5星ホテル.JPG

 ホテルのロビーは広く、天井には大きなシャンデリアが下がっている。フロントの受付嬢もよく教育されており、流暢な英語でてきぱきとチェックインの処理をしてくれる。私はアントンさんに、『さすが5星ですね。でももっと安いホテルでよかったのですけど。』と云うと、『このぐらいのホテルで無いと安全が保てません。』との答えを聞いて、今はインドネシアもかなり危険で有ることを理解した...

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インドネシア出張 [海外雑記]

 マレーシア出張から2週間経過した4月初旬、着陸寸前の景色.jpg私と同僚のS君は、前回急遽訪問を中止したインドネシアのジャカルタへ改めて出張することになった。ジャカルタに到着したのは午後4時半頃、空港には明日訪問する会社の通訳アントンさんが待っているはずだったが、いくら探しても見当たらない。到着ロビーをうろうろしていると、白タクらしき人達が寄ってきて、何処に行くんだと鈍った英語で話しかけてくる。無視してもしつこく付きまとう。あらかじめ聞いていたアントンさんの携帯電話も全く通じない。あきらめてTAXでホテルへ行こうと思いかけた頃、反対側に探しに行ったS君がジャカルタ国際空港首都「土木図書館所蔵」「撮影:伊藤清忠」.jpgアントンさんらしき人を連れて戻ってきた。私は軽く挨拶と自己紹介をした後、『ずいぶん探しました、何かありましたか?』と遅れた理由を聞いてみた。するとアントンさんが、『車が渋滞して到着が遅れてしまいました。申し訳ありません。』とぺこりと頭を下げた。

 私達は駐車場まで行き、アントンさんが手配した車に乗り込んだ。車が走りだしてからアントンさんが、『インドネシアは初めてですか?』インドネシアの地図.pngと訊ねて来た。私は、『いいえ、以前来た事があります。』と答えたが、S君は、『初めてです。』と答えた。するとアントンさんは、『インドネシア共和国は、世界で一番多くの島を持つ国です。その数1万8,110と云われています。人口は2億3千万以上で世界第4位です。』とインドネシアの説明をしだした。S君が、『へえ~1万8千の島ですか、すごい数ですね。』と驚いた顔をするとアントンさんは続けて、『実際、正確な数はインドネシア政府もジャカルタ市内.jpg把握していません。』と云ってにこりと笑った。

 『インドネシアは日本と深い関係があるんですよ。』と、さらに続けてアントンさんは説明しだした。『インドネシアがオランダ領だった頃は、過酷な植民地時代が続きましたが、日本軍の侵攻によりインドネシア・日本合作映画 ムルデカ.jpgオランダの植民地支配が瓦解し、日本の軍政下に置かれました。日本はインドネシアに対し緩和政策を取ったのですが、日本が負けると再びオランダの支配下に置かれましたしかし、日本軍政下に高度の軍事訓練を受けたスカルノ大統領を始めとしたインドネシアの青年層が独立運動を起こし、オランダから独立を勝ち取ったんです。この独立運動では、日本人が2000人以上加わり、半分の方々が死んでいます。』と、私も知らなかったインドネシアの歴史を語ってくれた...

 


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