SSブログ

マレーシア出張(震災) [海外雑記]

 その時私は24階のオフィスにいて、炎上.JPG日曜から行くマレーシア、インドネシアの出張資料を作成していた。突然、大きくグラっとビルが揺れ、そのまま続けて大きく、大きく、揺れ続けた。『これは大きいぞ!!』と、誰かが叫ぶ声や『キャ~!!』と云う女性の叫ぶ声が聞こえた。職場防災隊の私は、机に備え付けてあるヘルメットをかぶり、そばの棚において有ったメガホンを掴み、『あわてずに、落ち着いて机の下に潜ってください!!』とフロワーの全員に向かって叫んだ。その間にも、ビルはグラグラと大きく揺れ続け、私は左手で棚を掴みながら体を支え、やっとの思いで立ちながらメガホンで繰り返し指示を出し続けた。

 2分は揺れが続いただろうか、やっと揺れが収まり何人かの人が、机の下から恐る恐る這い出してきた。しかし顔はこわばり、いつまた揺れるのだろうか、と云う不安が表情から読み取れた。暫くすると構内放送があり、地震情報とエレベーターの停止を伝えてきた。私は、職場の被害状況を確認してまわったが、時計.jpg幸い壁に立てかけてあった時計が落下してガラスが破損した程度で、ほとんど被害は無かった。しかしフロアー毎に儲けた防火シャッターが全て降りていたので、それらのドアーが開くことを確認し、職場防災本部に状況報告を行った。

 防火扉を出て、東側の喫煙室に行くと、そこからいつもの東京湾が見える。しかしその日は、空に黒い雲が広がり、遠くで黒煙が上がっているのが見えた。それは、いつか映画で見たような不気味な風景だった。西側で誰かが、『燃えているのが見える、炎が見える!!』と叫んでいるのが聞こえた。西側の窓側に行き、いつも閉めているブラインドを上げると、遥か遠くビルの陰から炎が上がっているのが目視できた。東京湾方向から煙.jpg炎は時々大きくなり、暫くすると小さくなりを繰り返しながら永遠と燃え続けている。あとから臨海工業地帯にあるコスモ石油が地震で炎上し、その後爆発したことをTVのニュースで知った。

 職場は既に仕事をしている人はおらず、一部の人達が携帯電話で家族や知人に安否の確認をしている。しかし、ほとんどの人が繋がらないのが、繰り返しかけていることで分かった。他の人達は、TVにかぶりつき地震のニュースを見ている。TVからは、この地震の大きさと後から襲った津波の断片的な被害状況が刻々と伝わってくる。数時間経過後、構内放送により、帰宅できる者は帰宅しても良いとの指示が社員全員に通達された。その放送をきっかけにバスや電車、あるいは歩いて帰宅できる人が、爆発の炎.jpgあたふたと挨拶して帰っていった。時間が経つにつれ、迂回して帰れる人や、歩いて帰る事を決意した人達が、挨拶も早々に徐々に職場から去っていった。

 私は、TVが放映する津波のニュースを見ていたが、私の周りには、既に会社に泊まる事を決めた人達が数十人残っているだけだった。夜10時を過ぎたころ、地下2階で非常食を配るとの構内放送が聞こえた。私は、残っている人達から数人非常食を運ぶ人を募り、その人達と階段を使い地下2階まで取りに降りた。帰りはそれぞれ数人分の非常食を抱え、もくもくと階段を24階まで上がったが、職場にたどり着いた時はさすがに息が荒くなっているのがわかった。非常食を各人に配った後、会議室の机を同僚と一緒に外に運び出し、残っている数人の女性のための睡眠場所を確保した。その後は同僚と共にTVの前で、刻々と伝わる津波の報道を見ながら、眠れぬ夜を会社で過ごすこととなった...

 


nice!(224)  コメント(13)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。